・眩しくて、僕は目を逸らしてしまう。
・現在は復帰しているがTwitterを引退していた樋口恭介氏の「生活の印象」を引き続き読んでいる。
ツイッターをやめる理由はいっぱいあり、やめない理由はない。ツイッターは義務であり、最低限の告知。個人のそれはいらないし、情報アカウントすら、客に任せればいい。インスタもそう。文脈を勘違いする奴らによる「純然たる暴力」から逃れるためには、物理的に、確実に距離を取る。つまり「やめる」ことが一番の手段なんだろう。
・楽しくない瞬間について、向き合ってみたい。楽しいことだけ書く、なんて義務はない。
アティチュードを強いられている感覚がある。自分からチケットくださいと行けないのは、どうしようもない意地である。正規の手段ではないという感覚がある。くれるなら行きたいが、検索から行くのは自販機の底を探るみたいになって、恥ずかしくなってしまう。でも、そういう立ち位置でいる限り、外れたら絶対に行けない。
自分のツイッターの構築では、チケットあげますよ、という人が来ないということ。チケットが当たる日を夢を見て、しっかり眠ることにしよう。
でも、行きたいので、
・DIALOGUE+2 コンプリート!!
のチケットを譲っていただける方は、https://twitter.com/n_senti_かtakuyaaoyagi2アットgmail.comに連絡いただけると幸いです。
・ネクストバッターズサークルに立ち、ひたすらに振り続けることを語っている。
でも、そうやって振って、自分なりの刃を研ぎ続けても、うまくいくとは限らない。研ぎ続けて、気づいたら脆くなっている、なんてことも。でも、売れなくても、自分なりにカッコイイ作品が作れたから満足だ、という人生を選ぶよう努めていかが?
投稿について、「バットを振り続ける」「刃を研ぎ続ける」ということは、換言すれば、書き続けるということである。読まれなくても「いい文章」が書けたという視点を保って。
読まれるものが正義ではあるが、読まれたくて書いているわけだが、結局、自分の信じたいように書き続けるしかない。読まれなくても満足だし、それで読まれるのも1番楽しい。
でも、俺はフォームが悪く、刃も鈍なので、やっぱり思考停止で書き続けるだけでは無理なんだろうと思う。映画に関しては売れなくても残るが、投稿は無いものになるということも大いに関わってくる。だから、あらゆる書き方を試す毎日を始めようと思う。まじでやりたくない奴はやらないけどね。
・オードリーのANNのSAMさんKOOさんゲスト回面白かった。SAMさんがオードリー側に普通にいてお笑いを生み出す黄金の布陣という感じだ。
・やるやるきを久しぶりにリアルタイム視聴した。ラジオではないな、とあらためて思う。当たり前に配信番組だから。人間性はわかるので良いがコーナーとか無いんだ、と気づかされた。この間イベントに出たとか、そういう話は聴けない。ここまで来たら聴かないほうがいい?
そうなると、自分がバットを振る場、刃を研ぐ場はここではないように思えてくる。でも、ありとあらゆるフォーム、刃、研ぎ方、すなわち書き方、ひいては聴き方を試してからでも、引退は遅くないだろう。
・春の風が、吹いている。