日記

ニュー·センチメンタリティの記録

2023/07/31 #麻痺すること

・どっちもやるっていうのは、できないのだろうか。社会人お笑い、兼業サラリーマン、週末ヒロイン……形を変えながら続けるというのは甘い考えなのだろうか。

 

・脳盗のFrantzKEndo回で、「不便なものを使うという」ことの良さについて話していた。一太郎スマイルでアートワークを描く。

 

・キリンに雷が落ちてどうするで、散漫でいると思考が捗ると書いてあった。世の中には面白いものが多すぎて、刺激が強すぎるという話だ。散歩の、風景は変わり続けるがこちらに干渉してこない感じ、足は進めているけど急いでいない感じは、つまらないゆえにちょうどいい。

映画をいっぱい見る人は麻痺しているし、音楽をいっぱい聴いている人も麻痺しているし、ラジオをいっぱい聞いている人も麻痺しているし、友だちがいっぱいいる人も麻痺している。道を歩いている人だけが、世界そのものと瑞々しく相対している。

 

・自分がインターネットで誕生日を祝われないよう注力しているので、インターネットで人の誕生日も祝わないよう努めている。虚空に祝いが飛んでいき、それの軌跡を眺めている時間は、ありありと自分の気持ちを見つめることになる。純粋な感情などない、しかし、自らの祝いの中の顕示欲について思う。祝いに麻痺すれば、儀式として粛々と行うことができるだろうか。メタに逃げて、「沢山の人に祝われますように」なんて願い始めたら、目も当てられない。

 目の前の人に「おめでとう」と言って「ありがとう」と返ってくるぐらいがちょうどよい。