・鈴木ジェロニモの説明シリーズ全部見た。
色々な面から表現を掘り進める新しい形の芸術のように思う。
景色を掴んでいる
・ジェネラリストよりもスペシャリストになりたいのだと思う。進度深く、誠実に、あなたに伝えたい。極めた結果の理解の及ばなさに憧れる。
きっと、最近自分がやってる「応援する」側では満足できない望みだろう。いつまで経っても他人への無理解を正当化していくところに滞っている。外堀までしか辿り着けない。
スペシャリストになるには、自分に「ここまで掘った」という実感が必要だ。それは、自己探究のみでしか得られないのだろうか。
・表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬で若林正恭が、他人との比較によらない趣味と血の通った関係が自分を救うと書いていた。そうなると、自分と向き合うだけでは満たされなそうだ。面と面を突き合わせる何か。
・会話にとどまらないのかもしれない。錯覚と断じてはいるが、生で音楽を聴いて、お笑いで笑って、演劇を観ると、「血が通う」感覚がある。生放送でメールが読まれても。自分がそう思えればよいのか?そちら側も通った錯覚はしている?それはわからない。
でも、意外と面と面を突き合わせて血を通わせることは簡単そうだ。あとは、掘り進めるだけである。