日記

ニュー·センチメンタリティの記録

2023/06/10 #BBQと美術館

・肉をずっと焼いた日だった。まとめると、ひとつ目はこう書けるだろう。

 

 宴会で、エレベーターで、BBQで、なんでもない話ができない。「最近どう?」なんて訊こうと思わない。それは、カッコいい言い方をすれば「他人に踏み込まないようにしている」だが、ちゃんと言えば「どうでもいい」と思っている。

 BBQでは話の輪に入れないので、置かれた肉を焼いて、時々取っていく人を横目に、自分の分を取って食べていく。ずっと置いていると焦げてしまうので避難場所を作りたいが、それも面倒なので、自分の皿に取って食べる。

 これを繰り返しているので、すぐに満腹になる。でも、そもそも喋っている人たちは最初の数口で、もう満足しており、取りに来ない。そうなると、焼いて回収、焼いて回収のターンはどんどん自分だけに回ってくる。放置しても居場所はないから、「焼いてる人」という居場所を保ちたいから、自業自得のフードファイトをしているのである。

 結果、約2時間立ちっぱなし、焼きっぱなし、食べっぱなしで終了する。もう満腹を超えて気持ち悪いし、足は棒である。というわけで、2次会をサボり帰宅した。

 

 

・絵を観る習慣が無くて悲しかった。まとめると、ふたつ目はこう書けるだろう。

 

 映画を観るし本も読む。音楽なんて毎日聴いている。だから、文化について、芸術について知識があるし、瑞々しい審美眼があると思っていた。でも、自分は美術館には行かないんだった。そのことに気づいた。

 歴史を知らないから、学ばないから、静止画に対しても感想を持たない。ストーリーを見出さない。もちろん、コンテクストなしでも美しさに感動することはできるだろう。何か思えるはずである。

 絵に対して、彫刻に対して、展示に対して、「終わり」が読めないというのも、興味を持たない理由として大きいのかもしれない。映画だって本だって音楽だって「終わりが確約されてる」。2時間で、400ページで、100小節で。でも、美術館は「気の済むまで」である。短く回り終えてはいけないという緊迫感がある。

 結果、原画展や衣装展は、知っている物語の補完のために足を運ぶこともあるが、常設展に行かない生活をして、カルチャーぶっている。